この名字はまだ図鑑に載っていません
全国16032位約343人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「大給」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
蔦
先の尖ったツタの葉を一枚描いた図案。
万字
卍を象った図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 453コマに「家紋蔦、萬字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大給(おぎふ)は、三河国(愛知県)賀茂郡大給から起こった。寛政系図に「加賀守乘元(源次郎、後に和泉守、左近ともいわれた。二葉松)は親忠君の二男であり、加茂郡大給に住んだことにより、大給の松平と称する」と。しかし一説に、「もと萩生氏であり、物部弓削運季定、賴朝の時代に加茂郡萩生庄の地頭となった。一世孫萩生季統、松平信光と戦って敗った。孫乘元、親忠の家臣となった」といわれている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
大給オギフ三河國賀茂郡大給より出so寬政系圖に「加賀守乘元(源次郞、後和泉守、左近とも目とも云ふ。二葉松)は親忠君の二男なり、加茂郡大給に住せしにより、大給の松平と稱す」と。然るに一說に、「もと萩生氏にして、物部弓削運季定、賴朝の時加茂郡萩生庄の地頭となる。+一世孫萩生季統、松平信光と戰ひて敗る。孫乘元、親忠の聲となる」と云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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