この名字はまだ図鑑に載っていません
全国11116位約626人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「大津山」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
目結
絞り染めの結び目を四つ、角を合わせて並べた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 41コマに「家紋五段梯四目結也」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大津山(おおつやま)は肥後国玉名郡大津山から起こる。屈指の名族である。『大津山系図』に「藤原資名(日野大納言、正二位で、建武5年5月2日に薨去、享年52。鎌足の二十二代孫権大納言日野俊光の子)-時光(日野家の祖)・弟資基(大津山河内守で、資名の季子である。信用の理由があって足利尊氏と親しく、そのため資基は足利家に属し、最初は河内国古市庄に居た。足利義満が授けたのは肥後玉名郡白間庄の内である(以下、テキストが切れている)
大津山オホツヤマ肥後國玉名郡大津山より起る。屈指の名族なり。大津山系圖に「藤原資名(日野大納言、正二位、建武五年五月二日薨、年五十二、鎌足二十二代之孫權大納言日野俊光の子)-時光(日野家祖)·弟資基(大津山河內守、資名の季子也。責名故ありて足利尊氏と善し、故を以つて資基足利家に屬し、始め河內國古市莊に居る。足利義滿授くるに肥後玉名郡白間莊内を以つてす。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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