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全国16271位約335人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大條(おおえだ)は岩代図伊達郡大条村から起こった。伊達宗達の二男宗行がこの地にあって大条氏を○す。その母は結城宗広の女である。子孫は伊達世臣家譜に『第八世定叟公○(遠)の二男孫三郎宗行が大条氏の祖であり、世々大条前に住む。子宗最、その子宗元、その子宗澄、その子助宗・留主景宗の子を養って嗣となす。これを三河宗家と言う。天文中の人である。その子を尾張宗直と称す。天正十六年六月、貞山公の時、命を奉じて高倉城を収む』
大條オホエダ岩代圖伊達郡大條村より起る。伊達宗達二男宗行、此の地にありて大條氏を器す。其の母は結城宗廣の女なり。子孫は伊達世臣家譜に「第八世定叟公Ch遠)の二男孫三郞宗行、大條氏の祖にして、世々大條前に住す。子宗最、その子宗元、その子宗澄、其の子助宗·留主景宗の子を養つて嗣となす。之を三河宗家と云ふ。天文中の人なり。其の子を尾張宗直と稱す。天正十六年六月、貞山公の時、命を奉じて高倉城を收む。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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