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全国13302位約471人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
多羅尾(たらを)【1】藤原北家近衞家流 ― 近江発祥の豪族であり、甲賀郡多羅尾より起こった。この地は近衞家の領地であった。そしてこの氏は近衞経平の男・師俊が、初め高山と称し、後に甲賀郡信楽庄を領し、その子・光○に至り、多羅尾四郎次郎と称したと言う。詳しくは調べるべきだ。光○の十二代孫は「光吉・光俊・光太・好光・光忠」である。信楽の項を参照。『与地志略』に「伝えるところによれば、近衞家基公が信楽に蟄居したことがある……(引用はここで途切れている)」
多羅尾タラヲ1藤原北家近衞家流近江發祥の豪族にして、甲賀郡多羅尾より起る。此の地は近衞家の領たりき。而して此の氏も近衞經平の男師俊、初め高山を稱し、後甲賀郡信樂庄を領し、其の子光〓に至り、多羅尾四郞次郞と稱すと云ふ。尋ねべし。光〓十二代孫「光吉-光俊-光太-好光-光忠」也0シガラキ條參照。與地志略に「相傳ふ、近衞家基公·信樂に蟄居の事あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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