この名字はまだ図鑑に載っていません
全国19269位約251人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
喜連川(きつれがわ)は関東管領足利氏の後である。古河公方義氏の女が、秀吉の命により、小弓御所賴純の長男國朝と婚し、義氏の後を襲ぐ。國朝は下野国(栃木県)塩谷郡木連川に居住する。よってこの世に喜連川公方と称する。喜連川判鑑に「左馬頭成氏-同政氏-左兵衞佐高基(王丸)-左兵衞督晴氏(龜若丸)-右兵衞佐義氏(梅千代王丸)-氏女(國朝と婚す)-右兵衞督國朝(乙若丸)-左馬頭賴氏(龍王丸)-河内守義親-右兵衞門督尊信-左兵衛督照氏」と。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
喜連川キツレガハ關東管領足利氏の後なり。古河公方義氏の女、秀吉の命により、小弓御所賴純の長男國朝と婚し、義氏の後を襲ぐ。國朝·下野國鹽谷郡木連川に居す。よりて世に喜連川公方と稱す。喜連川判鑑に「左馬頭成氏-同政氏-左兵衞佐高基(王丸)-左兵衞督晴氏(龜若丸)-右兵衞佐義氏(梅千代王丸)-氏女(國朝と綠婚)-右兵衞督國朝(乙若丸)-左馬頭賴氏(龍王丸)-河内守義親-右兵衞門督尊信-左兵衛督照氏」と。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「喜連川」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →