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全国12224位約538人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
喜入(きいれ)は薩摩国給黎郡給○から起こる。この地は『図田帳』に「給黎院四十町島津同御庄寄郡、郡司小大夫兼保」と見える。平姓伊作氏流伊作貞時の四世孫良道の次男有道を祖とする。もと給黎氏という。建久八年の内裏大番参勤交名に「給黎郡司」を載せている。『地理纂考』の喜入城条に「往古、伊作平次郎大夫良道が次子兵衛有道がこれを領し、給黎を以って氏とした。その後、島津忠時の第七子常陸忠経の長子左京宗長の所領となった」と見える。
喜入キイレ薩摩國給黎郡給琴〓よリ起る。この地は圖田帳に「給黎院四十町島津同御庄寄郡)、郡司小大夫兼保」と見ゆ。1平姓伊作氏流伊作貞時の四世孫良道の次男有道を祖とす。もと給黎氏と云ふ。建久八年の内裡大番參勤交名に「給黎郡司」を載せたり。地理纂考、喜入城條に「往古、伊作平次郎大夫良道が次子·兵衞有道·是を領し、給黎を以つて氏とす。其の後、島津忠時の第七子常陸忠經の長子左京宗長の所領となる。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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