この名字はまだ図鑑に載っていません
全国14428位約411人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「吉益」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
九曜
中央の星のまわりに、八つの星を丸く配した図案。
目結
絞り染めの結び目を四つ、角を合わせて並べた図案。
『姓氏家系大辞典』第6巻 428コマに「家紋九曜、四目結」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
吉益(よします)はO源氏で、畠山氏族の畠山政長の一族である政慶が紀伊(和歌山県)にあって豊臣氏に滅ぼされたので、同族の医師吉益半笑斎に頼ってその氏を冒したと伝えられている。その男道安政光が浅野候に従って安芸(広島県)に移り、重宗を生んだ。重宗の男周介為則(公言、周輔、要助)は名医として名高く、東洞と号した。その男に周介猷(修夫)、O(子直)、展(子良)があり、猷が最も名高く、南涯と号した。その弟子直もまた名高い。幕臣外科医吉益貞庵の男春庵重陸が御家人となった。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
吉益ヨシマス〓和源氏畠山氏族畠山政長の一族政慶·紀伊にありて、豐臣氏に滅され、同族醫師吉益半笑齋に賴りて其の氏を冒すと傳へらる。その男道安政光·淺野侯に從ひて安藝に移り、重宗を生む。重宗の男周介爲則(公言、周輔、要助)は名醫として名あり、東洞と號す。その男に周介猷(修夫)、〓(子直)、展(子良)あり、猷·最も名ありて南涯と號す。その弟子直また名高し。2幕臣外科醫吉益貞庵の男春菴重陸·御家人となる。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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