この名字はまだ図鑑に載っていません
全国23192位約179人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「十津川」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
九枚笹
細長い笹の葉を三枚、扇に開いた図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 299コマに「家紋九枚笹、百の字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
十津川(とつかわ)は大和国(奈良県)吉野郡に十津川千石を賜った。木造左衛門尉と越前守とを両家臣として、岐阜中納言秀信卿に属し、抱護、及び政務を預けた。文禄元年六月、重ねて朝鮮国に加勢として兵士六万を派遣し、岐阜少将の名代として、越前守·八千の人数を引率して朝鮮に○く。同五年○月、関ヶ原合戦の時、秀信○·始め東役に従おうとして軍旅を装った
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
十津川トツカハ大和國吉野郡に十津川千石を賜ふ。木造左衞門尉と越前守とを兩家臣として、岐阜中納言秀信卿に屬し、抱護、及び政務に預からしむ。文祿元年六月、重ねて朝鮮國に加勢として兵士六萬を遣はす、岐阜少將の名代として、越前守·八千の人數を引幸して朝鮮に花く。同五年度子、関ヶ原合戰の時、秀信〓·始め東役に從はんとして軍旅を粧はしむ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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