この名字はまだ図鑑に載っていません
全国20552位約223人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
加賀野(かがの)は尾張国(愛知県)中島郡加賀野井から起こった。後村上院皇子仁瑜法親王に仕えた僧官某の後裔である。天正年間に絶えた。『新撰美濃志』に「四加賀野井村の加賀野井彌八郎秀望はここの人である。先祖は南朝の御連枝で、東南院仁瑜法親王に奉仕し、親王が大須の真福寺におられた時、坊官として仕えた。宮が隠れられてから、この地を自領として住んだ。秀望は織田信雄公に従い、八千石を領した。あるいは一万石を領したとも言う」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
加賀野カガノ加賀野井カガノヰ尾張國中島郡加賀野井より起る。後村上院皇子仁瑜法親王に仕へたる僧官某の後なり。天正年間亡ぶ。新撰美濃志に「四加賀野井村加賀野井彌八郞秀望は、こゝの人也。先祖は南朝の御連枝、東南院仁瑜法親王に奉仕し、親王大須の眞福寺におはしましける時、坊官としてつかふ。宮かくれ給ひて、此の地を自領して住めり。秀望·織田信雄公に從ひ、八千石を領す。あるひは一萬石を領せしともいふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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