劉
りゅうRyuu
全国5229位 ・ 約1,990人
劉(りゅう)は、支那漢室の氏であることから、漢帝の裔と称する倭漢坂上氏の族裔には劉と称する人が少なくない。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- りゅう
- ローマ字
- Ryuu
- 全国順位
- 全国5229位
- 推計人数
- 約1,990人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
劉をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ryuu読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 豊後国(大分県)
- 石見国(島根県)
- 安芸国(広島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
劉(りゅう)は、支那漢室の氏であることから、漢帝の裔と称する倭漢坂上氏の族裔には劉と称する人が少なくない。とりわけ鎮西大蔵氏から出た人に多い。また「源平盛衰記」に「我はこれ大唐の琵琶の博士劉次郎廉承武なり」云々と見える。 【1】藤原姓 ― 劉伯陽の裔という。藤原の条第七十三項を見よ。 【2】雑載 ― 豊後日田の人劉三吉翥(字は君風)は、広瀬湊窓の門で、十哲の一人と称せられた。その男三郎昇(君平)は冷意と称し、また名がある。また江戸の○家に劉安生(元育、君織)があり、一に寿山とも号した。また石見(島根県)などにこの氏が存し、また安芸広島の儒者に劉元高が見える。また大和出身の学者宮瀬三右衛門維輸が劉龍門と称するのは、倭漢氏の族、志賀穴太村主の裔であることによる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
劉リウミツチ支那漢室の氏なるを以って!漢帝の裔と稱する倭漢坂上氏の族裔には、劉と稱する人尠からず。殊に鎭西大蔵氏より出でし人に多し。又源平盛衰記に「我は是れ大唐の琵琶の博士劉次郞廉承武也」云々など見ゆ。 1藤原姓劉伯陽の裔と云ふ、藤原條第七十三項を見よ。 2雜載豐後日田の人劉三吉翥(字君風)は、廣瀨湊窓の門、十哲の一と稱せらる。その男三郞昇(君平)は冷意と稱す、又名あり。又江戶の〓家に劉安生(元育、君織)あり、一に壽山とも號す。又石見等に此の氏存し、又安藝廣島の儒者に劉元高·見ゆ。又大和出の學者宮瀨三右衞門維輸が劉龍門と稱するは、倭漢氏の族、志賀穴太村主の裔なるに據る。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
劉と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じくらいの多さの名字
全国順位が劉の前後にある名字です。
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