この名字はまだ図鑑に載っていません
全国13040位約486人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
則岡(のりおか)は1橘姓で楠木氏族の紀伊国(和歌山県)の豪族であり、『続風土記』在田郡南村旧家条に「則岡利兵○。左馬頭橘正儀の子河内三郎正則の末裔である。正則は畠山右衛門佐基国に仕えた。正則の子小次郎則綱は、文安二年(1445)に畠山氏の岩室城を築いた時、城中の政務を行った。則綱の子左近将監久明は、畠山尾張守政長に仕えた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
則岡ノリヲカ1橘姓楠木氏族紀伊國の豪族にして、續風土記、在田郡南村舊家條に「則岡利兵暫。左馬頭橘正儀の子河内三郞正則の裔なり。正則、畠山右衞門佐基國に仕ふ。正則の子小次郎則綱、文安二年畠山氏の岩室城を築きし時、城中の政務を行ふ。則綱の子左近將監久明は、畠山尾張守政長に仕ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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