この名字はまだ図鑑に載っていません
全国18939位約259人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
富部(とみべ)。武蔵(東京都・埼玉県)、信濃(長野県)などにこの地名が存する。信濃の富部氏は更級郡斗女○(富部)から、棚倉小笠原藩の重臣となり、この信濃などのこの山城京都の富小路、更級郡斗女○(富部)から起こった。『源平盛衰記』に「信濃国住人富部三郎家俊」と載せ、参考本『盛衰記』に「○部三郎家俊が祖父の下総左衛門大夫正弘は島羽院の北面である。保元乱に講岐院に召されて、後に陸奥国(東北地方)へ流され、子息左衛門大夫家弘は討たれた」と。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
富部トミペトベ武蔵、信濃等に此の地名存す。1信濃の富部氏更級郡斗女〓(富部)よ棚倉小笠原藩重臣に此信濃等に此の山城京都の富小路更級郡斗女〓(富部)よリ起る。源平盛衰記に「信濃國住人富部三郞家俊」を載せ、參考本盛衰記に〓部三郎家俊が祖父·下總左衞門大夫正弘は、島羽院の北面也。保元亂に講岐院に召されて、後は陸奥國へ流され、子息左衞門大夫家弘は討たれぬ」と。
『姓氏家系大辞典』はこの名字を「富部」の表記で立項しています。引用はその項のものです。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「冨部」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →