この名字はまだ図鑑に載っていません
全国13372位約467人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「内畠」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
杏葉
馬具の飾りを象り、葉を扇に開いた器を二つ、向かい合わせた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 342コマに「紋內野杏葉」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
内畠(うちばた)○。また戸次系図に『貞直-内梨』とある。紋は内野杏葉。内野(うちの)は筑前内野邑から起こったか。筑後(福岡県)、○年の文書に宮師内野能澄房がいて、肥前(佐賀県・長崎県)の名族で、肥前河上社建武筑後近藤氏所蔵文書永仁五年十月二十二日の譲状に『内の入道に○役、同じく御得清によって、取り返す間に、これまた○に譲り与えるものなり』と。その後、筑後北野天神社の鰐口舘に『内野四郎左衛門秀盛、云々享禄四年辛卯四月四日』と。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
內畠ウチバタえ、又戶次系圖に「貞直-内梨」とあり。紋內野杏葉。ウチノ筑前內野邑より起りしか、筑後、四年の文書に宮師內野能澄房、肥前の名族にして、肥前河上社建武筑後近藤氏所藏文書えいにん五ねん十月廿二日の讓狀に「うちの入道にこぎやく、おなじく御とくせいによて、とりかへすあいだ、これ又むねずみにゆづりあたふるもの也」と。その後筑後北野天神社鰐口舘に「內野四郞左衞門秀盛、云々享祿四年辛卯四月四日」と。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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