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全国14876位約391人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
六は、京極宮と称された。承応三年九月十九日に、前の項目の智忠親王の関係となられた。その後継者は後四天皇の皇子長仁親王(寛文六年十二月二十五日相続)、次に御弟曾仁親王(延宝三年八月十二日相続)、次に○天皇の皇子正宮で、元禄二年十月十五日に相続され、常磐井宮と改められた。次に御兄文仁親王で、京極宮と改められた。常磐井・京極・桂などの項を見てほしい。
六ハツタハダ樣を見よ。京極宮と稱し給ふ。承應三年九月十九日、前項智忠親王の關となり給ひし也。その嗣は後四天皇の皇子長仁親王(寛文六年十二月廿五日相續)、次に御弟曾仁親王(延寶三年八月十二日相續)、次に頭元天皇々子正宮·元祿二年十月十五日、相續せられ、常磐井宮と改め給ふ。次に御兄文仁親王·京極宮と改め給ふ。常磐井、京極、桂等の條を見よ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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