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全国21189位約211人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
入鹿(いるか)は、紀伊国(和歌山県)牟婁郡入鹿庄から起こった。「山中傑遠の地であり、その命令が行き渡らず、そのため中の守護として京都から士族山本氏を招いた。山本氏には三人の子があり、長子は入鹿の地頭であり、次は尾呂志庄の地頭であり、三男は西山郷竹原村に居る」と伝わる。『続風土記』小栗須村入鹿八幡宮の項に「勧請の時代ははっきりしないが、あるいは中世当庄の領主入鹿某が社を造立したと言う。今伝わるところ、延德三年の棟札に総領義家とあり、裏に時々取中興系○の項を見てほしい。……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
入鹿イルカ紀伊國牟婁郡入鹿莊よリ起る。「山中傑遠の地なれば、其の令行はれず、因りて由中の守護として京都より士族山本氏を招く、山本氏三子あり、長子は入鹿の地頭たり、次は尾呂志莊の地頭たり、三男は西山郷竹原村に居る」と傳ふ。續風土記小栗須村入鹿八幡宮條に「勸請の時代詳ならざれども、或は云ふ中世當莊の領主入鹿某富社を造立す。今傳ふる處、延德三年の棟札に總領義家とありて、裏に時々取中興系ニフタ條を見よ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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