この名字はまだ図鑑に載っていません
全国21883位約199人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
光末(みつすゑ)・満田(みつだ・まんだ)は『和名抄』に武蔵国(東京都・埼玉県)荏原郡に満田○を載せ、「上音下訓」と注している。その他、岩代(福島県)にもこの地名がある。山口氏族は岩代国河沼郡満田邑から起こった。『新編会津風土記』河沼郡下野尻村の条に「旧家満田和助。この村の肝煎である。先祖は山口大和忠春といい、葦名家に仕えた。長禄2年、盛詮が伊達家を攻めた時、金上兵庫に属して功があったので、盛詮は褒めて、満田・杉山の両村を与えて、これより満田村に住み、氏を満田と改めたという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
光末ミツスヱ滿田ミツダマンダ和名抄、武藏國荏原郡に滿田鄰を收め「上音下訓」と註す、その他、岩代に此の地名あり。1山口氏族岩代國河沼郡滿田邑より起る。新編會津風土記、河沼郡下野尻村條に「舊家滿田和助。此の村の肝煎なり。先祖は山口大和忠春とて、葦名家に仕ふ。長祿二年、盛詮·伊達家を攻めし時、金上兵庫に屬し功ありしかば、盛詮賞して、滿田、杉山の兩村を與へて、是より滿田村に住し、氏を滿田と改めしと云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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