倭
やまとYamato
全国8562位 ・ 約953人
倭(やまと・おおやまと)は、また大和・大養徳などとも書く。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- やまと
- ローマ字
- Yamato
- 全国順位
- 全国8562位
- 推計人数
- 約953人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
倭をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yamato読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 河内国(大阪府)
- 大和国(奈良県)
- 羽前国(山形県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
倭(やまと・おおやまと)は、また大和(奈良県)・大養徳などとも書く。大和は「和名抄」に「於保夜萬止」と訓じる。 しかし「大」は美称であって、単に「やまと」と呼ぶのが常であった。そのため倭・和は通じて用いられ、また日本とも書き、河内(大阪府)に対して東をも「やまと」と訓じた。 国名としては古くは多く「大倭」の字を用い、天平九年に至って改めて「大養徳」とし、十九年に旧に復して「大倭」の字を用い、天平宝字元年、さらに改めて「大和」とした。 【1】大倭国造 ― また倭国造、あるいは大和国造とも記す。神武天皇東征の際に大功を立てた珍彦、すなわち椎根津彦の後裔である。 「日本書紀」神武紀に「珍彦を以って、倭国造と為す」とあり、「古事記」神武段に「槁根津日子、此は倭国造等の祖」と見える。 また「国造本紀」に「椎根津彦命を以って、大倭国造と為す。即ち大和直の祖」といい、「大倭国造記」に「橿原(神武)朝の御代、椎根津彦命を以って、初めて大倭国造と為す」などとも見える。 椎根津彦の出自については、「皇孫本紀」に彦火々出見尊の御子として「武位起命は大和国造等の祖」と見えることから、椎根津彦は武位起の子、あるいは孫であるかのようにも読めるが、これは仮冒にすぎないと考えられる。 「姓氏録」もこの氏族をすべて天孫には収めず、地祇に載せている。 また「古事記」上巻には「故れ其の国より上り幸でます時に、○の甲に乗りて釣しつつ打羽挙り来る人、速吸門に過いき。爾れ喚びよせて、汝は誰ぞと問わしければ、僕は国神と答え申しき」とある(○の一字は原文が崩れて判読できない)。 また「日本書紀」神武紀にも「東を征ち給う。速吸の門に至ります、時に一の漁人あり、艇に乗りて至る。天皇これを招き、因って問いて宣わく、汝は誰ぞやと。対えて申さく、臣は是れ国神なり、名を珍彦と曰う。 ……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)……天神の御子と聞けるゆえ、即ち迎え奉る、云々。乃ち特に名を賜いて椎根津彦と為し給う。此れ即ち倭直部が始祖なり。行きて筑紫国の菟狭に至ります」とあることから、地祇の族とすべきである。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
倭ヤマトオホヤマト又大和、大養德等に作り、大和は和名抄に於保夜萬止と訓ず。されど大は美稱にして、單にヤマトと呼ぶを常とす、故に倭、和と通じ用ひられ、又日本と載せ、又河内に對して東をも、ヤマトと訓ず。國名としては古くは多く大俵の字を用ひ、天平九年に至り、改めて大養德と爲し、十九年復舊して大倭の字を用ひ、天平寶字元年、更に改めて大和と爲す。 1大倭國造又倭國造、或は大和國造とも載せたり。神武帝東征の際、大功を立てたる珍彥、卽ち椎根津彦の後也。神武紀に「珍彥を以つて、倭國造と爲す」と載せ、また神武段に「槁根津日子、此は倭國造等の祖」と見え、また國造本紀に「椎根津彥命を以つて、大倭國造と爲す。即ち大和直の祖」と云ひ、また「大倭國選橿原(神武)朝の御世、椎根津彥命。を以つて、初めて大倭圖造と爲す」など見ゆ。椎根津彦の出自に關しては、皇孫本紀に、彦火々出見尊の御子「武位起命は大和國造等の祖」と見ゆれば、椎根津彥は武位起の子、或は孫なるが如きも、こは假冒に過ぎざるべし。姓氏錄も此の氏族を總べて天孫に收めずして、地祇に載せ、また古事記上卷には、明かに「故れ其の國より上り幸でます時に、の甲に乘りて釣しつゝ打羽擧り來る人、速吸門に過ひき。爾れ喚びよせて、汝は誰ぞと間はしければ、僕は國神と答へ申しき」と見え、又神武紀にも「東を征ち給ふ。速吸の門に至ります、時に一の漁人あり艇に乗りて至る。天皇·之を招き、因つて問ひて宣はく、汝は誰ぞやと。對へて申さく、臣は是れ國神なり、名を珍彦と曰ふ。魚羽前、和甲斐國巨摩郡山寺乙数釣り、天神の御子、ますと聞る故、即ち辺へ奉る、云々。乃ち特に名を賜ひて椎根津彦と爲し給ふ。此れ卽ち倭直部が始祖也。行きて筑紫國の蒐狭に至ります」とあるを以つて、地祇の族とすべし。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
倭と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じくらいの多さの名字
全国順位が倭の前後にある名字です。
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