この名字はまだ図鑑に載っていません
全国16148位約339人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
倉富(くらとみ)は筑後(福岡県)の豪族であり、龍造寺氏の族である。『竹野坂井村倉富伝記』にこの氏を秀○の七代孫・左衛門尉秀○の後とし、「藤原秀○の七代の孫秀○が左衛門尉に任じられ、初めて肥前(佐賀県・長崎県)に下向した。その子散位季善、その子龍造寺秀家は文治三年に肥前国佐賀郡龍造寺村地頭職および筑前国(福岡県)長州(山口県)邑の庄、ならびに所々の地に封じられた。そのため龍造寺を氏とした」と述べられている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
倉富クラトミ筑後の豪族にして、龍造寺氏の族也。竹野坂井村倉富傳記に、此の氏を秀〓七代孫左衞門尉秀〓の後とし、「藤原秀〓七代の孫秀〓·左衞門尉に任ぜられ、始めて肥前に下向す。其の子散位季善、其の子龍造寺秀家、文治三年、肥前國佐賀郡龍造寺村地頭職、井に筑前國長州邑の莊、及び所々の地に封ぜらる。依りて龍造寺を以つて氏とす。
『姓氏家系大辞典』はこの名字を「倉富」の表記で立項しています。引用はその項のものです。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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