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全国12712位約506人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
倉住(くらすみ)・倉増(くらぞう)は羽前国(山形県)村山郡蔵増邑から起こった。○和源氏で、最上兼頼の三男義直から出た【】『風土略記』に「倉増館は最上兼頼の三男義直の住居した地で、倉増殿といった。その孫を小国日向守光基といい、その子を親景という」などと見える。また『永慶軍記』に「蔵増安房守・小国の城主細川三河守を退治した功により、その跡を賜わった」と述べられている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
倉住クラスミ倉增クラゾウ羽前國村山郡藏增邑より起る。〓和源氏最上兼賴の三男義直より出10風土略記に「倉增館は、最上兼賴の三男義直の住居せし地にして、倉增殿といへリ。其の孫を小國日向守光基といひ、其の子を親景といふ」など見ゆ。又永慶軍記に「蔵增安房守·小國の城主細川三河守を退治したる功により、其の跡を賜はる」と。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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