この名字はまだ図鑑に載っていません
全国19614位約243人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
余野(あまりの)は摂津国(大阪府・兵庫県)能勢郡の豪族であり、余野城東能勢村余野、弊木塁は明応年間余野山城守頼幸の築いたものと言う。地黄、野間とを併せて能勢の三総領と称される。天正年中山城守高綱があり、十二年三月高山右近将監と戦いて敗れ、自刄して城は廃。この氏は○和源氏能勢氏の一族であると言う。余戸(あまりべ)・△は和名抄に山城国(京都府)宇治郡、同綴喜郡、大和国(奈良県)葛上郡、河内国(大阪府)遊川郡、同若江郡、同錦部郡、塩津国東生郡、同西成郡、同住吉郡、
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
余野アマリノ攝津國能勢郡の豪族にして余野城東能勢村余野、弊木壘は明應年間余野山城守賴幸の築きしものと云ふ。地黄、野間とを併せて能勢の三惣領と稱せらる。天正年中山城守高綱あり、十二年三月高山右近將監と戰ひて敗れ、自刄して城廢50此の氏は〓和源氏能勢氏の一族也と云ふる餘戶アマリベアマリアマベ和名抄山城國宇治郡、同綴喜郡、大和國葛上郡、河内國遊川郡、同若江郡、同錦部郡、塩津國東生郡、同西成郡、同住吉郡、
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「余野」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →