この名字はまだ図鑑に載っていません
全国12641位約510人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「何」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
井桁
井戸の枠組みを菱に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 578コマに「家紋井桁に二ツ柏にして、その裔を新見嘉一郞氏」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)『安土軍策』に新見右衛門尉を載せ、また『府志』に「天正年中、左衛門尉春信に至り、毛利氏に属して退転した」と述べられている。また『各務氏』に「兵庫正氏の三女は備中新見渡辺弾蔵の妻」と見える。【2】美作(岡山県)の新見氏 ― 前項の氏の族であるか。ただし、真庭郡樫東○の新見氏は、吉野郡竹山の城主新免伊賀守長重が寛正3年4月の変で戦死し、その子於義丸・寿丸・寿若らは、母と共に鹿田の管家に頼り、二男寿丸が成長した後、樫東村に居を構え、新見と姓を改めたという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
何レモ黒シ下つて安四軍策に新見右衞門尉を載せ、又府志に「天正年中、左奮門尉春信に至リ、毛利氏に屬して退轉す」と。又各務氏諸に「兵庫正氏の三女は備中新見渡邊彈藏妻」と見ゆ。2美作の新見氏前項氏の族か。但し眞庭郡樫東色の新見氏は、吉野郡竹山の城主新免伊賀守長重·寛正三年四月の變に戰死し、其の子於義丸、壽丸、壽若等は、母と共に鹿田の管家に頼り、二男壽丸成長の後、樫東村に居を構へ、新見と姓を改むと云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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