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全国13871位約439人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐護(さご)は『和名抄』によると対馬国(長崎県)上県郡に佐譲郷があり、後に私称して佐藤郡という。その地名を負った。宗氏の族であり、宗家の伝わるところによると「北殿七人の御子、二番宗二郎殿が佐護である」という。寛元四年、下野次郎を佐護郡代とした。文明元年、佐護郡代宗播磨国(兵庫県)○がある。天文十五年より佐護氏という。二十人の者に○○古廿二迫扇○○大友系図に「詫摩別当能秀の庶号に迫扇という」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
佐護サゴ和名抄、對馬國上縣郡に佐譲郷あり。後に私稱して佐藤郡と云ふ。その地名を負ふ。宗氏の族にして、宗家のわたる次第に「北殿七人の御子、二番宗二郞殿·佐護なり。」と。寛元四年、下野次郞を佐護郡代とす。文明元年、佐護郡代宗播磨國久あり。天文十五年より佐護氏と云ふ。二十人の者に頒っ座古廿二迫扇サコアフギ大友系圖に「詫摩別當能秀の庶號に迫扇云きと見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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