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全国18623位約267人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐草(さくさ)は出雲国(島根県)意字郡佐草邑から起こった。応安三年八月28日、出雲大社々家連判状に「○孝の相伝の譲状は、佐草六郎入道禅光の手跡の条、詳細がはっきりしていない」と。○に百五十石(紋同)○。○和名抄に薩摩国(鹿児島県)薩摩郡、また甲碧海郡赤渋村に橘木庄○。「佐草の里の八重垣明神は、風土記では久佐社であろう。当社の神主媒氏は、彼の稻田宮主の後裔であると語っている」と見える(スト、スガ、イナダ条参照)。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
佐草サクサ出雲國意字郡佐草邑より起る。應安三年八月廿八日、出雲大社々家連判狀に「〓孝相傳の讓狀は、佐草六郞入道禪光手跡の條、子細なく候」と。憧橋談に百五十石(紋同)佐久「先山甚大夫和名抄、薩摩國薩摩郡にまた甲碧海郡赤澁村に橘木庄「佐草の里の八重垣明神は、風土記作久佐社たるべし。當社の神主媒氏は、彼の稻田宮主の後裔也と語リ侍る」と見ゆ。スト、スガ、イナダ條參照。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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