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全国23767位約171人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
仁禮(にれ)は、薩摩(鹿児島県)・大隅(鹿児島県)の名族で、○和源氏村上氏の族で、楡井氏の後である。鹿児島藩士で、慶長のころ、仁禮左近将監景頼がいた。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)また日向国(宮崎県)諸県郡高岡のあたり、寛永十五年のころの地図に仁禮蔵人がいた。下って、鹿児島藩士の仁禮最範は幕末明治に功績が多かったので子爵を賜った。その子の景一は日露戦争に戦死した。その他は次の項を見てほしい。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
仁禮ニレ薩隅の名族にして、〓和源氏村上氏の族、楡井氏の後也。鹿兒島藩士にして、慶長の頃、仁禮左近將監景頼あり、二柳庵輔賴-賴元-高房壹膚五露出雪五西端〓常賴」賴房吹上+爲頼聖順時忠山門院紫尾權現棟札に見ゆ。又日向國諸縣郡高岡〓寬永十五年比の地顔に仁禮蔵人あリ。下りて鹿兒島藩士仁禮最範は幕末明治に功績多かりしかば子爵を賜ふ。その男景一は日露役に戰死す。その他は次條を見よ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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