九鬼
くきKuki
全国3482位 ・ 約3,620人
九鬼(くき)は、紀伊・志摩発祥の豪族であるが、異流もある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くき
- ローマ字
- Kuki
- 全国順位
- 全国3482位
- 推計人数
- 約3,620人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
九鬼をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kuki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「九鬼」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第2巻 433コマに「家紋七星、五七桐、裏錢」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 志摩国(三重県)
- 長門国(山口県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
九鬼(くき)は、紀伊(和歌山県)・志摩発祥の豪族であるが、異流もある。 【1】藤原北家隆家流 ― 紀伊国牟婁郡の九木(九鬼)浦から起こる。「続風土記」牟婁郡九木浦古城址の条に「村の四端にあり、九鬼次郎左衛門が築いたものである」と載せ、また旧家地士・九鬼恭平の家譜に次のようにある。 「先祖は中納言藤原隆家七世の孫・内大臣信○という。信○六世の孫を左中将信行といい、信行の五世孫を佐倉中将隆信という。南朝に奉仕し、伊勢佐倉に住む。貞和年中、家臣の謀叛により仁木義長のために敗軍し、当村に逃れた。その孫・刑部少輔隆房の長男は宮内大輔隆長、次男は小次郎隆良である。隆良は志摩国(三重県)英虞郡波切村に城を築き、志摩七島を領した。これより家は二つに分かれる。」 「隆長五世の孫を左馬允光隆といい、織田氏に属した。その弟・右馬允嘉隆は永禄年中、鳥羽城主大井監物を襲って城を奪い、三万五千石を領した。織田家・豊臣家に属し、軍功があった。嘉隆の子・長門守守隆は伊勢渡会郡二万石を加増された。」 「四子があり、二男・式部少輔隆季は丹州綾部城主の祖である。三男を大和守隆尚といい、摂州(大阪府・兵庫県)三田城主の祖である。また光隆の子を主水佐恒隆という。その子・茂兵衛昌隆は井伊直政に仕えたが、故あって仕を辞し、紀州に帰った。その子・作右衛門義際は、南龍公の命により地士となり、子孫は代々この浦に住んだ」という。 村中の城址は今なおこの家の持地であるという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
九鬼クキ紀伊、志摩發祥の豪族なれど、異流もあり。 1藤原北家隆家流紀伊國牟婁郡の九木(九鬼)浦より起る。續風土記、牟婁郡九木浦古城址條に「村の四端にあり、九鬼次郞左衞門築く所なリ」と載せ、又舊家地士、九鬼恭平の家譜に「先祖は中納言藤原隆家七世の孫内大臣信〓といふ。信〓六世の孫を左中將信行といひ、信行の五世孫を佐倉中將隆信といふ。南朝に奉仕し、伊勢佐倉に住す。貞和年中、家臣の謀叛にて、仁木義長の爲に敗軍し、當村に逃る。其の孫刑部少輔隆房の長男宮内大輔隆長、次男小次郞隆良なり。隆良·志摩國英虞郡波切村に城を築き、志摩七島を領す。此より家二つに分る。隆長五世の孫を左馬尤光隆といふ、織田氏に屬す。其の弟右馬尤嘉隆·永祿年中、鳥羽城主大井監物を襲ひて城を奪ひ、三萬五千石を領す。織田家、豐臣家に屬し、軍功あり。嘉隆の子長門守守隆·伊勢渡會郡二萬石を加〓す。四子あり、二男式部少輔隆季·丹州綾部城主の祖なり。三男を大和守隆尙といふ、攝州三田城主の祖なリ。また光隆の子を主水佐恒隆といふ。其の子茂兵衞昌隆·井伊直政に仕ふ。故ありて仕を辭し、紀州に歸る。其の子作右衞門義際、南龍公命じて地士とし、子孫代々當浦に住す」と。村中城址は今猶ほ此の家の持地なりと云ふ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
九鬼と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
九鬼に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「九」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が九鬼の前後にある名字です。
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