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全国15538位約363人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
乙訓(おとくに)は又弟國とも書く。山城國(京都府)に乙訓郡があり、『和名抄』に於止久運と訓ずる。繼體天皇がこの郡の乙訓に都されたが、これを弟國宮という。また『延喜神名帳』に乙訓坐火雷神社(名神大)があり、賀茂神と関係が深い。また後世『乙各自鎌倉大草紙』に「塵永廿二年四月廿五日、鎌倉政所にて御評定の時、大懸の家人常陸國(茨城県)住人越幅六郞某、罪があって所帯を没収された。禪秀が指した罪ではなく、気の毒なこととして扶持されたため、ことのほか御気色を受けた」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
乙訓オトクニ又弟國ともあり。山城國に乙訓郡あり、和名抄に於止久運と訓ず。繼體天皇この郡の乙訓に都し給ふ、弟國宮これ也。又延喜神名帳に乙訓坐火雷神社(名神大)あり、賀茂神と關係深し。又後世乙各自鎌倉大草紙に「塵永廿二年四月廿五日、鎌倉政所にて御評定の時、大懸の家人常陸國住人越幅六郞某、科ありて所帶を沒收せらる。禪秀さしたる罪科にあらず、不便のよし扶持せらるゝ間、以の外に御氣色を蒙りける」と見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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