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全国11911位約562人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
丸亀(まるがめ)は、讃岐の丸亀城は『全讃史』『飽海郡宮内邑』の記事に、丸岡民部○の館跡と記載されている。古くは栄えていたが、戦国の頃、領地(神領)が減少して、この氏も衰えた(『新風土記』)。その頃は今井氏と言われた。『安倍氏』の著作に「留守今井氏の先祖は丸岡民部大輔という、一宮の神職であり、家紋は丸の中に一引きを用いた」と述べられている。【2】秀○流藤原姓 ― 羽前国田川郡丸岡邑から起こった。武藤義氏の弟・兵庫頭義興がこの地に居て丸岡を称号とした。
丸龜マルガメ讃岐の丸龜城は、全讃史飽海郡宮内邑に、丸岡民部少輪の館跡あリ、古くは盛大なりしが、戰國の頃、所領(神領)減じて、此の氏も衰ふ(新風土記)。その頃は今井氏と云へり。安倍氏の筆餘に「留守今井氏の先祖は丸岡民部大輔とて、一宮の社人にして、敏は丸の中に一引を用ひたり」とo2秀〓流藤原姓羽前國田川郡丸岡邑より起る。武藤義氏の弟兵庫頭義興·此の地に在りて丸岡を稱號とす。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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