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全国22655位約187人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
三河内(みかわうち)は丹後(京都府)・肥前(佐賀県・長崎県)などにこの地名が存在し、また『芸藩通志』の備後国(広島県)恵蘇郡の項に「三子山は小和田組にある。三子は三河内の誤りと考えられる。伝えるところによると、天正の頃、山内家人三河内参河道忠・同道高の二代が居守したという。村内慶雲寺の過去帳には『初代通量、二代通忠』と見える。また一説には『通佐・通忠・通明』ともいっている。二本松山は同村にある。三河内河内、その子治兵衛通縄の居所は、前の道忠の子弟だったのか」と。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
三河内ミカハウチ丹後、肥前等に此の地名存し、又藝藩通志、備後國惠蘇郡條に「三子山は小和田組にあり。三子は三河内の誤なるべし。傳へ云ふ、天正の頃、山內家人、三河内參河道忠、同道高の二代居守すと。村内慶雲寺の過去帳には『初代通量、二代通忠』と見ゆ。又一說には『通佐、通忠、通明』ともいへり。二本松山は同村にあり。三河内河内、其の子治兵衞通繩の所居、前の道忠の子弟なりしにや」と。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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