藤原顕氏

ふじわら あきうじ

1207年〜1274年

鎌倉時代生まれ藤原

公卿・歌人

藤原 顕氏(ふじわら の あきうじ、承元元年〈1207年〉 - 文永11年11月8日〈1274年12月14日〉)は、鎌倉時代中期の公卿、歌人。

基本情報

生年
1207年
没年
1274年
時代
鎌倉時代
名字
藤原
肩書
公卿・歌人
出典
大江広元の家系図

この人について

藤原 顕氏(ふじわら の あきうじ、承元元年〈1207年〉 - 文永11年11月8日〈1274年12月14日〉)は、鎌倉時代中期の公卿、歌人。藤原北家末茂流六条藤家。左京大夫・藤原顕家の次男。官位は従二位・非参議。紙屋河と号す。紙屋河家の祖。

この略歴はウィキペディア日本語版「藤原顕氏」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →

家系図(近い家族)

藤原顕氏を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かしたり拡大したりでき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。

上田佐房大江高元大江広時大江佐広藤原顕氏北条義時の娘 竹殿大江親広平時家の娘
上田佐房
長男
御家人
大江高元
次男
武士
大江広時
三男
木工助
大江佐広
四男
藤原顕氏
公卿・歌人
1207年〜1274年
北条義時の娘 竹殿
大江親広
長男
鎌倉幕府御家人
〜1242年1月17日
平時家の娘
100%

ドラッグで移動、ホイール・ピンチやボタンで拡大縮小できます。人物をタップすると詳細が開きます。

家族

年表:藤原顕氏と、その時代

年表の見方

  • 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
  • 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
  • 「すべて」「本人」「日本の出来事」のボタンで、見たい段だけに絞り込めます。
  • 「表示範囲」で横軸の幅を切り替えられます。範囲をせまくすると、横にスクロールして読めます。
  • 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。

この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。

表示範囲
本人
日本の出来事
鎌倉時代
1210
1215
1220
1225
1230
1235
1240
1245
1250
1255
1260
1265
1270
1275

本人

  1. 1207年誕生
  2. 1274年死去

日本の出来事

  1. 1212年鴨長明が方丈記を書く
  2. 1219年源実朝が討たれ源氏の将軍が絶える
  3. 1221年承久の乱が起こる
  4. 1224年親鸞が教行信証を書き始める
  5. 1227年道元が宋から帰り曹洞禅を伝える
  6. 1232年御成敗式目が定められる
  7. 1253年日蓮が法華の教えを説き始める
  8. 1274年文永の役。元軍が九州に攻め寄せる
年表を一覧で読む
藤原顕氏と日本の出来事(年の順)
1207年本人:誕生
1212年日本の出来事:鴨長明が方丈記を書く
1219年日本の出来事:源実朝が討たれ源氏の将軍が絶える
1221年日本の出来事:承久の乱が起こる
1224年日本の出来事:親鸞が教行信証を書き始める
1227年日本の出来事:道元が宋から帰り曹洞禅を伝える
1232年日本の出来事:御成敗式目が定められる
1253年日本の出来事:日蓮が法華の教えを説き始める
1274年本人:死去
1274年日本の出来事:文永の役。元軍が九州に攻め寄せる
  • 本人の出来事
  • 日本の出来事
  • 本人の生涯・活動期間

年表でわかること

この年表では、藤原顕氏の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、藤原顕氏がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。

日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。

載っている家系図

この人物ページは、みなさんが公開を選んだ家系図の記録だけでできています。ご存命の方の情報は自動的に伏せていますが、掲載の取消や名前を伏せるご希望は、いつでも承ります。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →