藤原長信
ふじわら ちょうしん
1014年〜1072年
東寺法務僧正
長信(ちょうしん、長和3年(1014年) - 延久4年9月30日(1072年11月12日))は、平安時代中期の真言宗の僧侶。
基本情報
- 生年
- 1014年
- 没年
- 1072年
- 時代
- 平安時代
- 名字
- 藤原
- 肩書
- 東寺法務僧正
- 出典
- 藤原道長の家系図
この人について
長信(ちょうしん、長和3年(1014年) - 延久4年9月30日(1072年11月12日))は、平安時代中期の真言宗の僧侶。父は摂政藤原道長。母は源重光の娘。通称は池辺僧正。
仁和寺観音院の延尋(源扶義の子)の元に入門して出家、永承3年(1047年)に同院で性信入道親王から灌頂を受ける。永承5年(1049年)に東寺に移って権少僧都・一身阿闍梨となる。天喜2年(1054年)には東寺と真言宗全体の長である第29代東寺長者に任じられて法印に昇進する。治暦2年(1066年)権僧正となり、この年の旱魃に際して僧侶20人を率いて雨乞いの修法を行った。延久2年(1070年)には僧正に任じられて、翌年には東寺内に池坊を建立してそこに居住する。後三条天皇の信任が厚く、この年には百官を連れて長信の元を訪れ、封戸25戸を下賜された。晩年は仁和寺などの別当を務めた。
この略歴はウィキペディア日本語版「長信」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
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家族
年表:藤原長信と、その時代
年表の見方
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- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 1014年誕生
- 1072年死去
日本の出来事
- 1016年藤原道長が摂政となる
- 1019年刀伊の入寇。北九州が襲われる
- 1051年前九年合戦が始まる
- 1053年平等院鳳凰堂が建てられる
- 1068年後三条天皇が即位する
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、藤原長信の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、藤原長信がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。
載っている家系図
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