敦賢親王
あつかたしんのう
1039年〜1077年
平安時代生まれ
皇族
敦賢親王(あつかたしんのう、長暦3年(1039年) - 承保4年8月17日(1077年9月6日))は、平安時代中期から後期にかけての皇族。
基本情報
- 生年
- 1039年
- 没年
- 1077年
- 時代
- 平安時代
- 肩書
- 皇族
- 出典
- 三条天皇の家系図
この人について
敦賢親王(あつかたしんのう、長暦3年(1039年) - 承保4年8月17日(1077年9月6日))は、平安時代中期から後期にかけての皇族。三条天皇の孫。敦明親王(小一条院)の皇子。官位は三品・式部卿。
この略歴はウィキペディア日本語版「敦賢親王」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
家系図(近い家族)
敦賢親王を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かして拡大でき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。
行観
皇子
皇族出身
1013年〜1073年
敦貞親王
第一皇子
皇族
1014年〜1061年
栄子内親王
第一皇女
皇族
1015年〜
敦昌親王
第二皇子
皇族
1017年〜
儇子内親王
第二皇女
皇族
1018年〜1097年
皇子
第三皇子
皇族
1019年〜1020年
皇子
第四皇子
皇族
1020年〜1021年
敦元親王
第五皇子
皇族
1023年〜1032年
源基平
皇子
皇族出身
1026年〜1064年
敦賢親王
皇子
皇族
1039年〜1077年
嘉子内親王
皇女
伊勢斎宮
信子女王
皇女
女王
源信宗
皇子
皇族出身
〜1097年
斉子女王
第五皇女?
賀茂斎院
源長経女
妾
院の上
長女
妃
1011年〜1062年
藤原寛子
三女
妃
999年〜1025年
敦明親王
第一皇子
小一条院
994年6月20日〜1051年
藤原延子
次女
妃
985年〜1019年
瑠璃女御
妾
〜1089年
100%
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家族
兄弟姉妹
- 行観1013年〜1073年
- 敦貞親王1014年〜1061年
- 栄子内親王1015年生まれ
- 敦昌親王1017年生まれ
- 儇子内親王1018年〜1097年
- 皇子1019年〜1020年
- 皇子1020年〜1021年
- 敦元親王1023年〜1032年
- 源基平1026年〜1064年
- 嘉子内親王
- 源信宗1097年没
- 信子女王
- 斉子女王
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年表:敦賢親王と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
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この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
表示範囲
本人(敦賢親王)
日本の出来事
平安時代
1035
1040
1045
1050
1055
1060
1065
1070
1075
1080
本人
- 1039年誕生
- 1077年死去
日本の出来事
- 1051年前九年合戦が始まる
- 1053年平等院鳳凰堂が建てられる
- 1068年後三条天皇が即位する
年表を一覧で読む
| 1039年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1051年 | 日本の出来事:前九年合戦が始まる |
| 1053年 | 日本の出来事:平等院鳳凰堂が建てられる |
| 1068年 | 日本の出来事:後三条天皇が即位する |
| 1077年 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、敦賢親王の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、敦賢親王がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。
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39人
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