懽子内親王
かんし ないしんのう
1315年〜1362年
后妃
懽子内親王(かんし/よしこないしんのう、正和4年10月16日(1315年11月13日) - 康安2年/正平17年5月7日(1362年5月30日))は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。
基本情報
- 生年
- 1315年
- 没年
- 1362年
- 時代
- 鎌倉時代
- 名字
- 懽子
- 肩書
- 后妃
- 出典
- 後伏見天皇の家系図
この人について
懽子内親王(かんし/よしこないしんのう、正和4年10月16日(1315年11月13日) - 康安2年/正平17年5月7日(1362年5月30日))は、鎌倉時代後期から室町時代初期(南北朝時代)にかけての皇族、歌人。後醍醐天皇皇女、母は中宮・西園寺禧子(後京極院)。伊勢斎宮、のち光厳上皇妃、女院。院号は宣政門院。
この略歴はウィキペディア日本語版「懽子内親王」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
家系図(近い家族)
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家族
年表:懽子内親王と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
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この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 1315年誕生
- 1334年子・興仁親王 誕生
- 1335年子・光子内親王 誕生
- 1338年子・弥仁王 誕生
- 1344年子・尊朝入道親王 誕生
- 1362年死去
日本の出来事
- 1324年正中の変が起こる
- 1331年元弘の変が起こる
- 1333年鎌倉幕府が滅びる
- 1334年建武の新政が始まる
- 1336年足利尊氏が建武式目を定める
- 1338年足利尊氏が征夷大将軍になる
- 1350年観応の擾乱が起こる
年表を一覧で読む
| 1315年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1324年 | 日本の出来事:正中の変が起こる |
| 1331年 | 日本の出来事:元弘の変が起こる |
| 1333年 | 日本の出来事:鎌倉幕府が滅びる |
| 1334年 | 本人:子・興仁親王 誕生 |
| 1334年 | 日本の出来事:建武の新政が始まる |
| 1335年 | 本人:子・光子内親王 誕生 |
| 1336年 | 日本の出来事:足利尊氏が建武式目を定める |
| 1338年 | 本人:子・弥仁王 誕生 |
| 1338年 | 日本の出来事:足利尊氏が征夷大将軍になる |
| 1344年 | 本人:子・尊朝入道親王 誕生 |
| 1350年 | 日本の出来事:観応の擾乱が起こる |
| 1362年 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、懽子内親王の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、懽子内親王がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。
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