基本情報
- 生年
- 1225年
- 没年
- 1286年
- 時代
- 鎌倉時代
- 名字
- 慶子
- 出典
- 藤原重子の家系図
この人について
慶子女王(よしこじょおう、嘉禄元年(1225年) - 弘安9年(1286年))は、鎌倉時代の皇族。順徳上皇の皇女。
承久の乱後、佐渡島に配流された順徳上皇が同島で右衛門督局(藤原範光の娘)との間に最初に儲けた子女である。和歌をよくし、弘安9年、62歳で没した。死後、島照大明神として祠が(現在の一宮(いっくう)神社)建てられた。また、生前御座所となった寺は女王に因み慶宮寺と呼ばれ、神社の別当寺となった。
この略歴はウィキペディア日本語版「慶子女王」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
家系図(近い家族)
慶子女王を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かしたり拡大したりでき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。
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家族
年表:慶子女王と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
- 「すべて」「本人」「日本の出来事」のボタンで、見たい段だけに絞り込めます。
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- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 1225年誕生
- 1286年死去
日本の出来事
- 1227年道元が宋から帰り曹洞禅を伝える
- 1232年御成敗式目が定められる
- 1253年日蓮が法華の教えを説き始める
- 1274年文永の役。元軍が九州に攻め寄せる
- 1281年弘安の役。元軍が再び攻め寄せる
- 1285年霜月騒動が起こる
年表を一覧で読む
| 1225年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1227年 | 日本の出来事:道元が宋から帰り曹洞禅を伝える |
| 1232年 | 日本の出来事:御成敗式目が定められる |
| 1253年 | 日本の出来事:日蓮が法華の教えを説き始める |
| 1274年 | 日本の出来事:文永の役。元軍が九州に攻め寄せる |
| 1281年 | 日本の出来事:弘安の役。元軍が再び攻め寄せる |
| 1285年 | 日本の出来事:霜月騒動が起こる |
| 1286年 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、慶子女王の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、慶子女王がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。
同じ名前の別の方
公開されている家系図には、同じ「慶子女王」という名前の方がほかにもいます。お探しの方がこちらでないか、生没年と家系図の名前でお確かめください。
1225年〜1286年・順徳天皇の家系図
載っている家系図
20人
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