塙保己一
はなわ ほきいち
1746年〜1821年
江戸時代の国学者、和学講談所の学者
塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日)- 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者で、『群書類従』『続群書類従』の編集者。
基本情報
この人について
塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日)- 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者で、『群書類従』『続群書類従』の編集者。散逸していた『日本後紀』の一部分を再発見した。
幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。また、一時期、多聞房(たもんぼう)とも名乗る。雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名した。総検校。贈正四位。四男は、国学者の塙忠宝である。
この略歴はウィキペディア日本語版「塙保己一」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
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家族
年表:塙保己一と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
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- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 1746年6月誕生
- 1808年子・塙忠宝 誕生
- 1821年10月死去
日本の出来事
- 1774年解体新書が出される
- 1782年天明の飢饉が始まる
- 1783年浅間山が噴火する
- 1787年松平定信の寛政の改革が始まる
- 1792年ラクスマンが根室に来航する
- 1798年本居宣長が古事記伝を完成させる
- 1800年伊能忠敬が蝦夷地の測量を始める
- 1808年間宮林蔵が樺太を調べる
年表を一覧で読む
| 1746年6月 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1774年 | 日本の出来事:解体新書が出される |
| 1782年 | 日本の出来事:天明の飢饉が始まる |
| 1783年 | 日本の出来事:浅間山が噴火する |
| 1787年 | 日本の出来事:松平定信の寛政の改革が始まる |
| 1792年 | 日本の出来事:ラクスマンが根室に来航する |
| 1798年 | 日本の出来事:本居宣長が古事記伝を完成させる |
| 1800年 | 日本の出来事:伊能忠敬が蝦夷地の測量を始める |
| 1808年 | 本人:子・塙忠宝 誕生 |
| 1808年 | 日本の出来事:間宮林蔵が樺太を調べる |
| 1821年10月 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、塙保己一の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、塙保己一がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。
明治5年(1872年)以前の月は、和暦(旧暦)の月です。
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