基本情報
この人について
吉田 兼倶(よしだ かねとも)は、室町時代中期から戦国時代にかけての神道家。卜部兼名の子。官位は従二位・非参議。本姓は卜部氏。吉田神社の神主。吉田神道(唯一神道)の事実上の創始者。
30代で応仁の乱に遭遇し、動乱の時代の中で宗教家としての半生を過ごした。兵火による吉田神社の焼失後、吉田山山上に境内を移し、本社正殿の復興に先んじて斎場所(大元宮)を建立。各地の神道祭祀が衰微した戦乱期に、新たな神道説である「吉田神道」を創始して同家繁栄の基礎を築いた。
この略歴はウィキペディア日本語版「吉田兼倶」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →
家系図(近い家族)
吉田兼倶を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かしたり拡大したりでき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。
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家族
年表:吉田兼倶と、その時代
年表の見方
- 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
- 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
- 「すべて」「本人」「日本の出来事」のボタンで、見たい段だけに絞り込めます。
- 「表示範囲」で横軸の幅を切り替えられます。範囲をせまくすると、横にスクロールして読めます。
- 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。
この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。
本人
- 1435年誕生
- 1511年3月死去
日本の出来事
- 1441年嘉吉の乱。将軍足利義教が討たれる
- 1467年応仁の乱が始まる
- 1477年応仁の乱が終わる
- 1485年山城の国一揆が起こる
- 1488年加賀の一向一揆が守護を倒す
- 1489年足利義政が銀閣を建て始める
- 1493年明応の政変が起こる
年表を一覧で読む
| 1435年 | 本人:誕生 |
|---|---|
| 1441年 | 日本の出来事:嘉吉の乱。将軍足利義教が討たれる |
| 1467年 | 日本の出来事:応仁の乱が始まる |
| 1477年 | 日本の出来事:応仁の乱が終わる |
| 1485年 | 日本の出来事:山城の国一揆が起こる |
| 1488年 | 日本の出来事:加賀の一向一揆が守護を倒す |
| 1489年 | 日本の出来事:足利義政が銀閣を建て始める |
| 1493年 | 日本の出来事:明応の政変が起こる |
| 1511年3月 | 本人:死去 |
- 本人の出来事
- 日本の出来事
- 本人の生涯・活動期間
年表でわかること
この年表では、吉田兼倶の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、吉田兼倶がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。
日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。
明治5年(1872年)以前の月は、和暦(旧暦)の月です。
載っている家系図
8人
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