三条有子

さんじょう ゆうし

1207年〜1286年

鎌倉時代生まれ三条

後堀河天皇の皇后・女院(安喜門院)

三条 有子(さんじょう ゆうし/ありこ、藤原 有子(ふじわら の-)、1207年〈建永2年〉- 1286年3月2日〈弘安9年2月6日〉)は、鎌倉時代の後堀河天皇の皇后。

基本情報

生年
1207年
没年
1286年3月2日 同じ日の人物 →
時代
鎌倉時代
名字
三条
肩書
後堀河天皇の皇后・女院(安喜門院)
出典
三条有子の家系図

この人について

三条 有子(さんじょう ゆうし/ありこ、藤原 有子(ふじわら の-)、1207年〈建永2年〉- 1286年3月2日〈弘安9年2月6日〉)は、鎌倉時代の後堀河天皇の皇后。三条后。女院号は安喜門院(あんきもんいん)。

この略歴はウィキペディア日本語版「三条有子」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →

家系図(近い家族)

三条有子を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かしたり拡大したりでき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。

三条有子後堀河天皇三条実親藤原修子三条公房
三条有子
後堀河天皇の皇后・女院(安喜門院)
1207年〜1286年3月2日
後堀河天皇
天皇
三条実親
右大臣
藤原修子
三条公房
太政大臣
100%

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家族

年表:三条有子と、その時代

年表の見方

  • 上の段は本人の出来事です。帯は誕生から死去までの期間を表します(没年が分からない方は、帯の右端がうすくなります)。
  • 下の段は、同じころに日本で起きた主な出来事です。
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  • 月まで分かる出来事は、その月の位置に点を打っています。明治5年(1872年)以前の月は和暦(旧暦)の月です。

この人の出来事を、同じころに起きた日本の出来事とあわせて見ることができます。

表示範囲
本人
日本の出来事
鎌倉時代
1210
1220
1230
1240
1250
1260
1270
1280

本人

  1. 1207年誕生
  2. 1286年3月死去

日本の出来事

  1. 1212年鴨長明が方丈記を書く
  2. 1219年源実朝が討たれ源氏の将軍が絶える
  3. 1221年承久の乱が起こる
  4. 1224年親鸞が教行信証を書き始める
  5. 1227年道元が宋から帰り曹洞禅を伝える
  6. 1232年御成敗式目が定められる
  7. 1253年日蓮が法華の教えを説き始める
  8. 1274年文永の役。元軍が九州に攻め寄せる
  9. 1281年弘安の役。元軍が再び攻め寄せる
  10. 1285年霜月騒動が起こる
年表を一覧で読む
三条有子と日本の出来事(年の順)
1207年本人:誕生
1212年日本の出来事:鴨長明が方丈記を書く
1219年日本の出来事:源実朝が討たれ源氏の将軍が絶える
1221年日本の出来事:承久の乱が起こる
1224年日本の出来事:親鸞が教行信証を書き始める
1227年日本の出来事:道元が宋から帰り曹洞禅を伝える
1232年日本の出来事:御成敗式目が定められる
1253年日本の出来事:日蓮が法華の教えを説き始める
1274年日本の出来事:文永の役。元軍が九州に攻め寄せる
1281年日本の出来事:弘安の役。元軍が再び攻め寄せる
1285年日本の出来事:霜月騒動が起こる
1286年3月本人:死去
  • 本人の出来事
  • 日本の出来事
  • 本人の生涯・活動期間

年表でわかること

この年表では、三条有子の生涯の主な出来事と、同じ時代に起きた日本の出来事を横並びで見ることができます。それぞれの出来事の時期を比べることで、三条有子がどのような時代背景の中で生きていたのかが、より分かりやすくなります。

日本の出来事は、当サイトが主要なものを選んで記したものです。

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