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全国10624位約674人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
渡里(わたり)は三角、常陸などにこの地名がある。その他は前後の各条を参照。三河碧海郡渡城(本郷村渡)は、鳥居中務、伊賀守忠吉らの代々の居城で、また今村彦兵衞、山田○七なども当村の出身だという。また天文十三年に織田信秀がこの地に砦を構えた。当国渡里氏は穗積姓鈴木氏の末裔で、島居重氏の子忠氏は渡里傳内と称する。その子は「重茂-忠茂-重依-重勝-思講-忠俊-忠吉-思景(六田義貞の臣で、亘新右衞門と称す)」だという。子孫に島居氏がある。
渡里ワタリ三角、常陸等に此の地名あ"。その他、前後各條參照。三河碧海郡渡城(本郷村渡)は、鳥居中務、同伊賀守忠吉等.代々の居城にて、又今村彥兵衞、山田〓七等も當村出生也と。又天文十三年、織田信秀·當地に砦を構ふ。當國渡里氏は穗積姓鈴木氏の裔にして島居重氏の子忠氏·渡里傳内と稱す。其の子「重茂-忠茂-重依-重勝-思講-忠俊-忠吉-思景(六田義貞の臣にて、亘新右衞門と稱す)」なりと。子孫に島居氏あり。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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