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全国10704位約666人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
来りて武田家に仕えた。子の美濃守虎胤が信玄に仕え、武功が抜群であった。その妾腹の子市左衛門は事情があって浪人し、天文21年当郡下金子に来たという。また当郡の原氏は左三巴、丸に剣○○などを家紋とする。佐久の原氏の先祖書に「生国は信濃で、高祖父原庄左衛門が佐久郡岩村田に住んでいた時、権現様に属して知行三十八貫を上州中栗○村に与えられた。
來リニ武田家に仕ふ。男美濃守虎胤·信玄に仕へ、武功拔群なリ。その妾腹の男市左衞門·故あつて浪人し、天文廿一年當郡下金子に來る」と云ふ。又當郡原氏は左三巴、丸に劔鳩酸草等を家紋とす。46佐久の原氏原氏先祖書に「生國信濃、高祖父原庄左衞門·佐久郡岩村田に住居仕候節、權現樣に屬して、知行三十八貫を上州中栗巢村にて下し置かれ候。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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