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全国10665位約670人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
明珍(みょうちん)は紀姓の甲冑職人として名高い家で、遠く建内宿禰の八代の孫である大口臣から出たと伝えられている。つまり大口臣の二男で増田と名乗り、佐麿宗次と称して大和の岡本に住み、甲冑職人の世系は宗通・宗高・宗里・久国・国重・宗春・春国・国勝・宗鷹・宗有・宗国・宗実・宗一・氏国・宗大・宗弘・春次・宗友・友国・宗景・宗介(紀の太郎と称し、増田久寿と言い、京都の九条に住んだ)と続いた。近衛帝の勅命により、鎧や轡を作って献上したところ、天皇のご感激は大きかった。
明珍ミヤウチン紀姓甲冑工として名高き明珍家は、遠く建内宿彌八代の孫大口臣より出づと傳ふ。卽ち大口臣の二男増田字佐麿宗次と稱し、大和岡本に住、甲冑匠)-宗通-宗高-宗里-久國-國重-宗春-春國-國勝-宗鷹-宗有-宗國-宗實-宗一-氏國-宗大-宗弘-春次-宗友-友國-宗景-宗介(紀ノ太郞と稱し、增田久壽と云ひ、京都九條に住す。近衞帝の勅命によりて、鎧、轡を作りて上りしに、叡感斜ならず。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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