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全国10488位約690人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
平部(ヒラベ)は日向の豪族で、藤原姓である。平部系図に「日野右少弁俊基は元弘年間、後醍醐天皇の興復の謀に協力した。事潰れて北条高時に殺された。季子俊氏は日向に逃げ出し、伊東氏祐に頼った。氏祐は客人として待ち、平群庄三十町を与えた。このために平群氏と称し、その十世孫俊直の代に、改めて平部氏と称した」と言う。或いは古代の大族平群氏○か。ヘグリ条を参照。
平部ヒラベ日向の豪族にして、藤原姓也平部系圖に「日野右少辨俊基·元弘中、後醍醐天皇興復の謀に賛し奉る。事潰れて北條高時の殺す所となる。季子俊氏·出でゝ日向に逃れ、伊東氏祐に倚る。氏祐·待つに賓客の禮を以つてし、平群莊三十町を與ふ。因りて平群氏と稱し、其の十世孫俊直に至り、改めて平部氏と稱す」と云ふ。或は古代の大族平群氏育か、ヘグリ條參照。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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