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全国10111位約734人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐用(さよ、さよう)は播磨国に佐用郡があり、天智紀に狭夜に作られた。和名抄で佐奥と注し、郡内に佐用郷を収め、また佐与と訓じられる。中世に佐用庄がある。赤松氏族は前述の播磨国佐用から起こった。赤松系図に「頼則-則景(播磨守、頼朝の御時、関東へ下向、北条義時の婿となり、建久二年七月四日、播州佐用庄地頭職の右大将家御下文を賜う」と載せ、また赤松記に「丹波守季房の御子の時、播磨の国佐用庄赤松谷という所に流され給いて、その子孫が住んだ。
佐用サヨサヨウ播磨國に佐用郡あり天智紀に狹夜に作る。和名抄·佐奥と註し郡内に佐用郷を收め、又佐與と訓ず。中世佐用庄あり。赤松氏族前述播磨國佐用より起る。赤松系圖に「賴則-則景(播磨守、賴朝の御時、關東下向、北條義時の婿となり、建久二年七月四日、播州佐用庄地頭職の右大將家御下文を賜ふ」と載せ、又赤松記に「丹波守季房の御子のとき、播磨の國佐用庄赤松谷といふ所にながされ給ひて、其の子孫·住み給ふ。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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