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全国10048位約742人
全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)に占める割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
下河原(しもがわら)は山城、甲斐、陸中などにこの地名がある。1長谷川党は大和国式下郡の名族であり、法貴寺氏の一人である。詳しくは長谷川、法貴寺の項を参照。2○和源氏は陸中国江刺郡下河原邑から起こった。源三位頼政の後裔であると言う。江刺七家の一であり、後に南部家に仕え、予参士諸代並になった(『奥南旧指』条)。参考『諸家系譜』に下河原恒広などが見える。3雑載、徳川時代、亀山松平藩の用人にこの氏がある。
下河原シモガハラ山城、甲斐、陸中等に此の地名あり。1長谷川黨大和國式下郡の名族にして法貴寺氏人の一也長谷川、法貴寺條を見よ。2〓和源氏陸中國江刺郡下河原邑より起る。源三位賴政の後裔なりと。江刺七家の一にして、後に南部家に仕へ、豫參士諸代並となる(奧南舊指條)。參考諸家系譜に下河原恒廣等見ゆ。3雜載德川時代龜山松平藩用人に此の氏あり。
原文は文語体のため、AIで現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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